イケニエの羊だって恋をする!? 〜暴君社長の愛玩OL

◆プロローグ−3 逆らってはいけない

こういうのは、あまり珍しくない。

もしかしてこいつ背が高い? という疑いが、やっぱりこの女、本当に背が高い! というふうに考えが巡るらしい。
あるいはこんなに不躾に目線を向けたのは失礼だったかもしれないと、すみませんとばかりに苦笑いを浮かべてみる。
気まずい沈黙の果てに、ようやっと青年が口を開く。
けれども、声をかけたのは雨音に対してではなかった。

「…………紀藤、おまえのところはこんなに夜遅くまで女子社員に仕事させてるのか?」
「いや? 今日はたまたま急なお使い頼んじゃったけど、普段はちゃんともう少し早い時間に返してるぞ、なぁ七崎」
「え、あ、はい。そうですね。こんなに残業したのは、今日が初めてです!」
なぜこんな言い訳めいたことを言わなくてはならないんだろう。
そう思いつつも、紀藤の目線が、賛同しろと言っているような気がして、つい口走っていた。

「ふぅん? まぁいいや。いまから帰るんだろ、送っていってやる」
「「は?」」
雨音と紀藤が同時にあげた驚きの単音も無視して、青年は近くの椅子にかけてあったコートを身に纏う。
その仕種が妙に洗練されている気がする。

(なに、このひと――物言いは傲慢なのに、身のこなしはとてもスマートだ)
 雨音は思わず目を奪われて固まってしまった。なのに、

「おい、鞄とか荷物なしか? それなら行くぞ」
立ち居振る舞いとは真逆の、強引な物言い。
さっさと部署の出口に向かおうとする背中は、逆らうこと許してくれない雰囲気を漂わせる。
どうしたら……。
逡巡して、少なくとも顔見知りである紀藤に助けを求めるように視線を向けるけれど、首を振って口元が音にならない言葉を紡ぐ。

『さ・か・ら・う・な』
読唇術ができなくても、目の色と表情が告げている。
それでも雨音が動けないでいると、あきれかえった声が、まるで冷水のごとき冷ややかさで背中からかけられた。

「なに固まってるんだ。俺だって暇じゃないんだ。ぼーっとしてると、日付が変わるぞ」
暇じゃないんだったら、送ってなんて頂かなくて結構なんですが!!
とはもちろんいえる空気じゃない。
空気じゃないけれど、足も動かない。

(いや無理だって。自慢じゃないけど、平凡の極みとして、ちょっとばかり人見知りという奴を患ってまして、たったいま顔を見ただけの人といっしょに歩くとかホント無理ですから!)
そう言うしかない。

「あのっ!」
やっぱり断ろうと口を開いたところで、体が勢いよく引っ張られた。正確には右腕に持っていかれた格好で。
「あっ……!」
「お」
腕を掴まれていた。
背後から紀藤がどこか楽しそうな驚きの気配を伝えてくるけれど、雨音にしてみれば、訳がわからない。

「い?」
動揺にぱくぱくと陸でひっくり返った魚みたいに口を開け閉めして「た、助け……ッ」と掠れた声で縋りついてみたものの、頼みの綱である紀藤はひらひらと手を振って返しただけだった。

  †    †    †

なんなのなんなのなんなの――!?

「家はどっちだ?」
「あ、え、や……え、駅の近くで下ろしてもらえればそれで!!」
高そうな外車。しかも左ハンドル。
ベンツやBMWくらいならまだしも、雨音にはまるでわからないマークがついた車だった。
こんな車に乗せられたことはない。あきらかに浮いている。

(しかも家を知られるとか……ない!)
密やかに決意していると、なぜかふわりと香水めいた匂いが鼻をくすぐった。

な、に――?
黒目がちな大きな瞳を更に大きく瞠っていると、、頭をぽんと叩かれる気配。
甘いような、くらりと当惑させられる香りが、この人がつけているオーデコロンだと気づいたのは何故か髪を掻き混ぜられた瞬間だった。

「え? と、ええっ!?」
髪のなかに指を入れられたのは、信号待ちの短い間だけでするりと骨ばった感触は離れていく。

「馬鹿。駅の近くじゃわざわざ車で送ってやる意味がないだろ。通りの名前とかわからないなら、せめて最寄りのバス停を言え」
「あ、すずかけ通り! すずかけ通りです!」
とっさに口走っていた。
どうやら雨音が住所を言いたがらなかったのは、車で道案内ができないからだと思ったらしい。

(確かに引っ越してきたばかりだから、あまり詳しい道はわからないんだけど)
でもなぜか、誤解してくれたことで、少しだけ楽になった気がした。

(多分、悪い人じゃ……ないんだよね?)
そう思って横顔を眺めてみると、高い鼻梁と頬骨をもつ顔はとても端整に見える。

(もしかしなくても、この人とても格好いいんじゃない?)
さっきまではあまりにも訝しそうにされていたから、そっちの方が気になって、男性らしいけれど整った顔にまで、あまり目が向いていなかった。
無意識かもしれないけれど、甘やかな顔立ちはむしろ、からかわれて弄ばれそうな警戒心を抱かせていたかもしれない。
けれども、暗闇に沈んで、ときどき対向車のヘッドライトに照らされる静かな横顔は、どこかしらずっと見つめていたくなるような穏やかさが感じられる。

(……うん。この横顔はちょっと――いいかもしれない)
そんなことを考えている間に、車が交差点を曲がり、目的地のバス停、すずかけ通りが近づいてきた。

(どうしよう。もうここでいいんだけど……そうでなければ、右に曲がってもらうか)
雨音の住んでいる家は、もう少し先だから、バス停からだとひとりで少し歩かなくてはいけない。
さっきまでは、送ってもらうなんてとんでもない。
そう思っていたけれど、夜の十一時十一時近い新興住宅街をまのあたりにすると、人気が少なくて、ちょっと怖い。でも、見知らぬ人に家を教えてしまうのも怖い気もする。

(どうしよう――どうしよう……わたし)
ひとまず呼びかけようと思って、ここではたと気づいた。

「あ、あの……そういえば、名前……名前お伺いしてませんでしたよね?」
「…………。そうだな」
「お名前……は? あの、お伺い、しても?」
「……………………名前」
「そう、名前」

(なんだろう、この沈黙)
見知らぬ人に会ったとき、最初に名前を聞くのは普通のことではありませんか。違いますか。
それとも、この人にとってはそれは失礼なことなのだろうか。
でも一度口に出した言葉はもうなかったことにはできない。
雨音がぐるぐると逡巡していると、ふぅ、と詰めていた息を吐くような音が、狭い車内に響いた。

「雪――雪谷聖夜〔ユキタニ セイヤ〕だ」
ユキタニ――雪谷と書くのだろうか。
うん、とりあえず柊城姓じゃなさそうだし、大丈夫。
雨音はそこで安心して、やっぱり家の前まで送って欲しいとお願いすることができた。
「そこの右に曲がって少し先までお願いしてもいいでしょうか」
「もちろんですよ。お嬢さん」
くすくす笑いながらそう言われた途端、雨音がどうしてなかなか家の前までとお願いできなかったのか、すべて見抜かれているような気がした。

なにその小芝居めいた言葉! 普通だったら絶対嫌悪感もあらわに顔を顰めるところだ。なのに、目の前の青年があまりにも自然口にしたから、むしろ雨音の方が恥ずかしい。恥ずかしいのに、ちょっといい気分にさせられて、なおのこと羞恥に顔が赤くなってしまう。
(いま、暗くてよかった……顔が赤くてもきっと見えない。といってもそもそも暗いから送ってもらってるんだけど)
頭の中で考えているだけのこととは言え、本末転倒だった。

「ユキタニセイヤなんて、まるでクリスマスに生まれた人みたいですね」
「そうだな。実際クリスマスイブ生まれだ」
「あ、やっぱりそうなんですか! でも名前で誕生日が人に伝えられるなんて、プレゼントもらうときによさそう!」

「……そうか。そういう考え方も……確かにあるな。そうでなくても、周りには誕生日が知れわたっていたが……」
「知れわたっていた?」
「いや、比較的……そう。比較的小学校からずっと、変わりばえのない人間関係のなかで過ごしてきたからな」
「なるほど……あ、そこです。あの駐車禁止の標識の前です」

ききっと軽いブレーキ音を立てて車を止められるから、雨音はシートベルトを外して、「ありがとうございます」と頭を下げて、車を降りようとした。
そうすれば、送ってくれたこの青年は、すっと自分の家に帰れるだろう。そう考えていたのに、なぜか、ユキタニセイヤと名乗った青年もいっしょに降りてきた。

「ナナサキ――七崎、雨音だったか?」
門に掲げられた表札を長い指で辿り、確認するように尋ねてくる。

「あ、はい。そうです」
笑顔で答えてしまったところで、あれ? と疑問が頭をかすめた。

(確か、紀藤課長が名前を呼んだ気もするけど、わたし、下の名前まで名乗ったっけ?)
「……そうか。こんなに遅くなったが、親御さんに挨拶しなくて大丈夫か? ちゃんと会社の仕事で遅くなったって伝えた方がよくないか?」

「と、とんでもない! だ、大丈夫ですから! というか、こんなスゴイ車止めたままで親に出てこられたら、それこそ無用な心配されてしまうかも……!」
慌てていらないことまで口走ってしまったかもしれないけれど、事実には違いない。
どうにもオーダーメードにしか見えないスーツを洒脱に着こなした青年。
しかも外車乗り。

そんなのに挨拶されて、遅くなったのは会社都合の残業です。だなんて、とうてい信じてもらえる気がしない。
だいたい、新しめのこぎれいな住宅街とはいえ、流線形にしてどこか艶めかしいフォルム美しい外車が我が家の前に止まっているのは、どう見ても違和感がある。
はっきり言って浮いている。

「あの、送っていただいただけで……充分でしたから! やっぱり車で通りながら思ったんですけど、この辺ってこの時間、あまりひと気がなかったから……とても助かりました! ありがとうございます。あの、おやすみなさい!」
ひと息にお礼を言ってのけると、やっと胸のつかえが取れた気がした。

(言えた……ちゃんとお礼、きちんと言えた)
車に乗りこんだときは緊張しすぎて、気分が悪くなりそうだったけれど、ほんの十分かそこらで慣れてしまうんだから、最初に感じたあの訝しげな視線は、深い意味があったというより、ただ単になんでこんな遅い時間にOLが残ってるんだ。というようなごくごく一般的な疑念にすぎなかったのだろう。
というか、女子社員どころか男子社員だってみんないない時間だったのだし。

「……ああ、おやすみ。七崎雨音……また、明、日、〔あした〕な」
「え? あ、さよ……なら?」

(なにかいま含みがある言動されたような気がしたけれど、気のせい……よね?)
雨音は気づかなかったふりをして、再び車に乗りこんでエンジンをかけ直した青年に軽く手を振って見せた。

答えるようにヘッドライトがパッシングして点滅。
聞き慣れないエンジンを立てて、美しい車体が遠ざかる。

(ユキタニセイヤさんかぁ……。あんな時間にいたんだから、会社の人なんだよね? 初めて会ったけど……といっても、他の部署の人なんて会ってもわからないんだけど)

「また、会えるかなぁ?」
のんきにそんなことを呟いた雨音は知らなかった。

なぜ、雪也がそのときわざわざ偽名を名乗ったのか。
なぜ、最初に雨音を見て、訝しそうな顔をしていたのか。
この先自分を待ち受けている運命さえ――知らなかった。

そのすべての理由を雨音が知るのは、もっとずっと先のことになる――。


イケ恋・ムーンライトノベルズ/■/続く】
公開日:2014年1月5日〜ムーンライトノベルズ初出/2014年9月16日サイト転載

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